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賢人の雑学:芭蕉の宿は八木(やぎ)か乙木(おとぎ)か

[賢人の雑学]

池田末則の地理魍魎

芭蕉の宿は八木(やぎ)か乙木(おとぎ)か
池田末則の地理魍魎
 

元禄元年の春、俳聖・松尾芭蕉が伊賀上野から琴引峠を越え、大和国を行脚し、山ノ辺の道の布留宮(ふるのみや)や桃尾(とうの)の滝を訪ねた。時に「丹波市(たんばいち)のやぎ」という田舎宿に泊まったときの手紙に、

丹波市やぎといふところ、耳成山の東に泊まる。「ほととぎす宿かる比(ころ)や藤の花」といひて、なほおぼつかなきたそがれに、哀れなる駅(うまや)に至る…

芭蕉の宿は八木(やぎ)か乙木(おとぎ)かとある。「ほととぎす」の句は「草臥(くたびれ)て宿かる比の藤の花」に改めたが、芭蕉の宿泊した「丹波市やぎ」は丹波市町(天理市)付近となるが、「耳成山の東に泊まる」とあることから、「耳成山の西」との間違いで、現在の「八木」ということになって、「八木」には「藤乃家」の茶屋や「藤の花」の句碑まで建てられた。しかし、丹波市でも文化十一年(一八一四)に近くの風来坊(雪酔)という芭蕉の弟子が乙木村の近郊に「藤の花」の句碑を建てた。同地には、「朝日」という古寺があって、里唄にも「権現(ごんげん)藤の棚(たな)、朝日かゞやく名物どぢょう汁」という「藤」の名所があった。さらに乙木(小峠)村には有名な夜都伎神社があって、この「夜都伎」の「夜」は字形類似の「於」との間違いだとすれば、やつぎ―八木ということも考えられ、二つの「やぎ」説が今も問題になっている。

そういえば、芭蕉の琴引峠も伊賀・大和国境近くの小峠で、コトウゲが「琴弾」の村名に名を変えて残っている。さらに吉野郡の高見峠では「高見峠は高くて低い、低い小峠の餅屋は値が高い」、あるいは「宇陀(うだ)の半坂小峠(はんさかことげ)の茶屋で泣いて別れたときもある」という里唄があるかと思えば、コトウゲがコホトゲ→小仏峠になる実例もあって、司馬遼太郎(しばりょうたろう)の「梟(ふくろう)の城」の小説は「御斉(おとぎ)峠」の事件からはじまる―。「小峠」は奈良県内には約十五例もある―。

筆者プロフィール

池田末則さん

[日本地名学研究所長] 池田末則さん

元奈良大学講師(地名伝承学)、前奈良市文化財保護審議会委員・文学博士。著書に『日本地名学伝承論』(平凡社)、『地名伝承の研究』(KK名著出版)、『大和地名大辞典』(名著普及会)、近刊に『地名伝承学論』(クレス出版)など。古代の文化遺産としての地名の研究・保存につとめる。

 

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