賢人の雑学:芭蕉の宿は八木(やぎ)か乙木(おとぎ)か
[賢人の雑学]
池田末則の地理魍魎 (2007.10.05)


元禄元年の春、俳聖・松尾芭蕉が伊賀上野から琴引峠を越え、大和国を行脚し、山ノ辺の道の布留宮(ふるのみや)や桃尾(とうの)の滝を訪ねた。時に「丹波市(たんばいち)のやぎ」という田舎宿に泊まったときの手紙に、
丹波市やぎといふところ、耳成山の東に泊まる。「ほととぎす宿かる比(ころ)や藤の花」といひて、なほおぼつかなきたそがれに、哀れなる駅(うまや)に至る…
とある。「ほととぎす」の句は「草臥(くたびれ)て宿かる比の藤の花」に改めたが、芭蕉の宿泊した「丹波市やぎ」は丹波市町(天理市)付近となるが、「耳成山の東に泊まる」とあることから、「耳成山の西」との間違いで、現在の「八木」ということになって、「八木」には「藤乃家」の茶屋や「藤の花」の句碑まで建てられた。しかし、丹波市でも文化十一年(一八一四)に近くの風来坊(雪酔)という芭蕉の弟子が乙木村の近郊に「藤の花」の句碑を建てた。同地には、「朝日」という古寺があって、里唄にも「権現(ごんげん)藤の棚(たな)、朝日かゞやく名物どぢょう汁」という「藤」の名所があった。さらに乙木(小峠)村には有名な夜都伎神社があって、この「夜都伎」の「夜」は字形類似の「於」との間違いだとすれば、やつぎ―八木ということも考えられ、二つの「やぎ」説が今も問題になっている。
そういえば、芭蕉の琴引峠も伊賀・大和国境近くの小峠で、コトウゲが「琴弾」の村名に名を変えて残っている。さらに吉野郡の高見峠では「高見峠は高くて低い、低い小峠の餅屋は値が高い」、あるいは「宇陀(うだ)の半坂小峠(はんさかことげ)の茶屋で泣いて別れたときもある」という里唄があるかと思えば、コトウゲがコホトゲ→小仏峠になる実例もあって、司馬遼太郎(しばりょうたろう)の「梟(ふくろう)の城」の小説は「御斉(おとぎ)峠」の事件からはじまる―。「小峠」は奈良県内には約十五例もある―。
筆者プロフィール

[日本地名学研究所長] 池田末則さん
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