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賢人の雑学:祇園古賀志と焼豆腐のこと

[賢人の雑学]

池田末則の地理魍魎

祇園古賀志と焼豆腐のこと
池田末則の地理魍魎
 

京都市の鴨川以東、四条通りの東端に鎮座する八坂神社付近は、八坂郷の祇園といわれた地域です。昔は祇園境内・祇園廻り、祇園村で、神社は平安時代以来、祇園感神院(ぎおんかんしんいん)といわれ、明治維新の神仏分離後は現社名となり、祭神は素戔嗚命(すさのおのみこと)(牛頭天王—祇園の神)で、祇園御霊会の神事は貞観一一年(八六九)の天下大疫の時、多くの矛(ほこ)を建てて祀ったのが祇園祭のはじまりといわれます。(祇園社本縁録)

江戸時代、四条河原町は「河原芝居町」として鴨川原では猿楽・田楽などの勧進興業で雑踏し、「河原桟敷」と称し、常設の芝居小屋が出現、「桟敷崩れ」を引き起こして大騒ぎになったともいます。現在では南・北座の内、南座(旧南側芝居)だけが残ったのです。

祇園古賀志と焼豆腐のこと『都名所図会』によると、四条河原では、永禄年中、江州(滋賀県)の浪人・名古屋三左衛門という者、出雲のお国(出雲大社の巫女とも)という風流女と語らい、歌舞妓と名づけて、男女立会の狂言を仕組み、北野の森、祇園の南林で始めた異様な演劇。その振舞の風俗は「城を傾く」という意味になったとも。以前は祇園社の参詣路はだらりの帯や「蛍芸者」で象徴され、賑やかな花街を呈したのです。しかし、中世は再度の大洪水をうけ、天文一三年(一五四四)には四条橋が流失。南座東側の仲源寺の本尊地蔵菩薩は、実は「雨止み地蔵」として信仰されてきましたが、いつしか世人の「目疾み地蔵」として眼病平癒(へいゆ)の祈願所となったのです。

また、京都の豆腐料理は今も知られていますが、祇園の茶屋の「焼豆腐」が有名。『本朝世事綺談』には、「豆腐をうすく切り、串につらぬき、少し焼き、味噌のうす汁で煮、麩粉をそのうへに点ず、味甚だ美である」と書いています。さらに「祇園香煎」(茶菓子)は俗に「祇園こがし」とも称し、「香煎(こうせん)屋」は『雍州(ようしゅう)府志』にも「洛人もっぱらこれを賞し、遠来の客もこれを求め、郷里への土産となす」とみえ、『東海道名所図会』には「香煎屋」の元旦の風景が描かれています。京都の和菓子は昔から天下の名物として珍重視されたのです。

筆者プロフィール

池田末則さん

[日本地名学研究所長] 池田末則さん

元奈良大学講師(地名伝承学)、前奈良市文化財保護審議会委員・文学博士。著書に『日本地名学伝承論』(平凡社)、『地名伝承の研究』(KK名著出版)、『大和地名大辞典』(名著普及会)、近刊に『地名伝承学論』(クレス出版)など。古代の文化遺産としての地名の研究・保存につとめる。

 

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