賢人の雑学:奈良「お水取り行事」の香時計
[賢人の雑学]
池田末則の地理魍魎 (2008.02.29)


毎年、2月20日から翌月15日まで行われる奈良二月堂の「お水取り」の儀式は、修二会という厳かな浅春の行事です。この法会は、すべて奈良時代の道具を用いて行われるのですが、二月堂では今も正確な時刻を計るには香時計を用いているのです。
時を計る水時計や砂時計などについては、天智天皇10年(671)4月25日(旧暦)を太陽暦に換算して、毎年6月10日を「時の記念日」と定めたのです。当時、陰陽(おんよう)寮で漏刻(ろうこく)を管理する漏刻博士という役人が鐘鼓(しょうこ)を打って時を報(し)らせることは、全く大ゲサなことですが、奈良・平安時代には京師(みやこ)・九州太宰府(だざいふ)・陸奥(むつ)の三鎮守府のみに在していたのです。
ところが、近年、大和の飛鳥の水落遺跡から漏刻の遺構が発掘されたのです。こうした漏刻から時を通報した諸費をまかなった土地に「鐘つき田」「太鼓田」などの小字地名が残っています(栄山寺など)。
さて、二月堂の香時計とは時香盤という一尺一寸(約33センチ)四方の盤の上に一寸七分(約5センチ)位の灰を平たく盛り、その灰の上にW字型に抹香を埋め、その隅々に「亥」とか「寅」の標示(しるし)が立てられ、その一角から火を点じ、「亥」または「寅」の標示まで燃えつきた時が「亥の刻」であり、「寅の刻」といったのです。
この時、香盤の抹香(まっこう)を線香に代えたものが線香時計です。京都八坂神社前、祇園あたりの茶屋では、江戸時代、実際に使用していたらしく、記録によると、線香立てに芸妓の名前を記した線香を立て、その燃える時刻を見守って芸妓代(線香代)を決めたそうです。
また、大和葛城地方では、灌漑(かんがい)用水の配分に線香を用いて時間を定め、法螺貝を吹いて時刻を報(し)らせたり、寺院の釣鐘を鳴らした行事は最近まで続いていました(長谷寺)。
ちなみに、奈良西ノ京薬師寺では、今も毎朝夕五時には鐘の音を伝え、門前の旧家の庭に「日時計」の石盤が置かれてあって、近くには先年まで「砂時計」の茶店まであったのです。「時」を知ることは、実は容易なことではなかったことを識(し)るのです。
筆者プロフィール

[日本地名学研究所長] 池田末則さん
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