賢人の雑学:さくら・桜・稚桜(わかさくら)
[賢人の雑学]
池田末則の地理魍魎 (2008.04.30)


『万葉集』に桜児(さくらのこ)という乙女(おとめ)がありました。その乙女を妻にしようとした二人の壯男(おとこ)が、生命(いのち)をかけて相争ったのです。時に乙女は「一人の身にして二夫に仕えることができない。自分さえ死なば二人も争うこともあるまい」と考え、林の中に入り、樹に下(さが)って亡くなったのです。二人の壯夫は大いにうち悲しみ、その心持ちをのべ、各自、一首の歌を残したのです。
春去らば かざしにせむとわが思ひし、桜の花は散りにけるかも(十六—三六八六)
(春ともなれば、挿頭(かんざし)にしようと、思っていた桜の花も、散ってしまった。いとしい彼女もいなくなった—。)
妹(いも)が名にかけたる桜、花咲かば、常にや恋ひむ、いや年のはに(十六—三七八七)
(桜はかつての愛人の名、桜の花が今年も咲いている、咲くことに、その恋人を思い出してならない—)
とあります。いわゆる妻争(つまあらそ)い伝説の一種で、大和三山(畝火(うねび)山・香(かぐ)山・耳成(みみなし)山)の一つ、畝傍山東方の「桜川」のほとりに、その「娘女塚(おとめづか)」の存在を伝えています。
また、よく似た話が『万葉集』(十六—一七八八)にあります。むかし、三人の壯夫に恋い慕われた、乙女蔓児(かつらこ)は、如何せんと悲しみ、耳成の池に身を投じたのです。三人の壯夫各自が一首の哀歌を残したというのです。
さらに、香山東北近くの、市磯池の桜花にちなむ地名伝承が『日本書紀』履中(りちゅう)天皇紀にみえます。
天皇の三年十一月条に、天皇が両枝(ふたまた)船を磐余(いわれ)の市磯池にうかべて遊宴(あそび)をしていると、天皇の御盞(みさかつき)に、季節はずれの桜花が散ってきたのです。天皇は「非時(ときじく)のこの桜花、何処(いずこ)の花ならむ」と、花を求めると、やがて掖上(わきがみ)の室(むろ)山の花をえて献(たてまつ)り、その希有(めずら)しいことにちなみ、宮都(みやこ)の名を、磐余稚桜宮と号(な)づけたのです。現在の桜井市の大字谷の若桜神社(『延喜式』内社)付近が磐余の地域と考えられています。大字谷はクラの意で「谷」のこと。同市内には小倉、口倉、滝倉(たきのくら)、佐倉(さくら)→朝倉(雄略天皇宮)、倉橋(崇峻(すしゆん)天皇倉橋宮)などがみえ、県内には「サクラ」関係の地名ともなると約一八○例もあります。
筆者プロフィール

[日本地名学研究所長] 池田末則さん
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