賢人の雑学:立里「荒神ヶ嶽」は立里鉱山で平城京鎮護の神だった?
[賢人の雑学]
池田末則の地理魍魎 (2009.11.10)


紀州高野山に近い奈良県吉野郡野迫(のせ)川村の立里荒神ヶ嶽は、宝塚市の清荒神(きよしこうじん)、桜井市の笠かさ荒神と共に、日本三大荒神(火の神、火ほむすび産霊神)の一つとして、広く信仰されています。
村名の立里は踏鞴(たたら)の転訛で、奈良県磯城郡田原本町の法貴寺領の小字「タタラミ」は「東大寺文書」にも記録があり、全国各地に「太々良」「多々良」の地名が残っています。
「タタラ」は「フイゴウ」(足で踏みつつ風を送る装置)で鋳(い)もの物を造る時に用いました。法貴寺の「タタナミ」は「タタラ部」のこと。『和名抄』式下郡に「鏡作(かがみつくり)」の郷名があり、『今昔物語』には「十市(とういち)郡、奄治(おうじ)の東ノ方ニ人有ケリ、家大キニ富と メル、姓は鏡造也」とあります。
立里は鉱石(硫化銅)の産出地で、原石は天辻峠を越え、五條市二見(ふたみ)駅まで索道(さくどう)を利用して搬出、JR二見駅から川船を利用することもあったらしく、先年、沈没船底から、「和州立里山」鋳刻の遺物が発見されたこともあります(写真)。里謡にも「立里フイゴ五十丁…」とも言い、一時は鉱山景気で、芸者の三絃の音が賑にぎわい盛を極めたともいわれました。
立里には応永四年(一三九七)銘の宝篋印塔(ほうきょういん)があり、石質は吉野郡産の緑泥片岩で、同時代の同塔が大塔村から高野山までの道筋に数基が残っていて、資料的に重要な遺物として今も保存されています。
立里は江戸時代、幕府直営の鉱山でしたが、戦前の昭和十三年には、「金屋渕鉱業(かなやふちこうぎょう)」が設立され、同二十六年「五條鉱山」と改称、最盛期には年間約五万トンの出鉱量があり、同三十七年閉鎖されたそうです。
因みに、立里荒神は猛々しい荒神で、地名も「立利」→立里になったと伝承。平安京に対する火の神・愛宕(あたご)山のように、平城京を鎮護する神であるともいわれています。
筆者プロフィール

[日本地名学研究所長] 池田末則さん
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