賢人の雑学:日本一有名な兄弟のはなし
[賢人の雑学]
福井栄一の上方志向 (2007.12.03)


「兄は人気絶頂のイケメン俳優、弟は普通のサラリーマン」、「兄は地味な公務員、弟はJリーグのスター選手」というように、兄弟のうちのどちらか一人だけが有名という例はよく耳にします。けれども、二人ともが揃って有名人というケースは稀でしょう。
その意味で、在原サン家(ち)の兄・行平(ゆきひら)(八一八〜八九三年)&弟・業平(なりひら)(八二五〜八八〇年)コンビは、貴重です。
在原行平は、能吏として活躍し、当時権勢をふるっていた関白・藤原基経とも互角にわたりあう硬骨漢でした。文徳天皇の御世には因幡国守に任じられました。百人一首に収められた
「立ちわかれ 因幡の山の 峰におふるまつとし聞かば いまかへりこむ」
は、同地へ赴任する際の詠歌です。一時期、須磨へ逼塞し、松風・村雨という海女の姉妹と恋仲になった伝説もあります。さらに、海岸に打ち寄せられた木片に絃を張って一絃琴を創始し、製塩の道具を改良して行平鍋を発明したとも言いますから、行平の須磨ライフは、相当に多忙だったようです。
一方の在原業平は、『伊勢物語』のモデルに擬せられるなど、本朝の色男の典型とされています(ただし、実際には『伊勢物語』の中に、業平の名は登場していません)。優男(やさおとこ)のイメージとは裏腹に、右馬頭、右近衛権中将、蔵人頭などの武張(ぶば)った官職を歴任し、自身も鷹狩りの名手だったと言われています。『古今和歌集』序では紀貫之に
「その心あまりて、ことばたらず」
とけなされている業平ですが、藤原定家の評価は高く、百人一首には
「ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは」
が採られています。小野小町などと並び、六歌仙の一人でもあります。
不思議なのは、行平、業平各々には数多くの伝説が伝えられているのに、二人が一緒に何かを成し遂げた、二人の間にこのような微笑ましい交流があった、といった類の逸話がないこと。ひょっとすると、日本一有名なこの兄弟は、不仲だったのでしょうか。
筆者プロフィール

[上方文化評論家] 福井栄一さん
上方舞を中心とする上方の芸能、歴史文化に関する評論を発表するとともに、各地で精力的に講演活動を行う。著書に、
『上方学』(PHP文庫)、『にんげん百物語』(技報堂出版)、
『大阪人の「うまいこと言う」技術』(PHP新書)、
『ぼく いちびり』(プラネットバルン)、など執筆多数。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99/
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