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賢人の雑学:なぜ言語を学ぶのか?

[賢人の雑学]

佐藤弘樹の英語回帰

なぜ言語を学ぶのか?
佐藤弘樹の英語回帰
 

先日、高校生を対象に講演会を行った。DJが来るというので、「ヨーヨーチェキラッ」と言いながらの登場を期待した子供たちもいるようだが、普通のオッサンで悪かったね。

英語をどう勉強したらよいかという趣旨の話だったが、ご他聞に洩れず、脱線した。「英語ができるようになって外国人といっぱいお話したい」という希望を持つ子供たちには、まず「お父さんやお母さんと十分コミュニケーションが取れていますか」と尋ねてみたところ会場はシーンとなって多くの高校生が俯いた。最も身近な肉親と母国語でろくに挨拶もしないのに、数千キロも離れた見ず知らずの外国人と外国語で会話ができるのは奇跡に近い。

言葉の光と影を知らずに外国語を学ぶことは危険極まりない。言葉に救われることがあるのと同じように、寸鉄人を刺す、の例え通り、言葉は凶器にもなりうる。その一例として、言葉を包丁に例えてみた。台所で魚を捌き野菜を刻むのに使う包丁と、強盗傷害事件の凶器に使われる包丁の違いは、使う人間の意識の違いに他ならない。

語学学習は言葉を機械的に覚えることではない。そこから彼我の発想の違いや言葉そのものの違いを知ることにこそ、その楽しさがあるはず。そして苦労して身につけた外国語なればこそ、いたずらに疎かにはできず、言葉の限界に無常の諦観を感じつつ意識のありようを高めることが、語学を勉強することの究極の目的であるはず。

なぜ言語を学ぶのか?と、まぁこんな話で講演を締めくくったのだが、その後、生徒たちの感想文が送られてきた。読んでみると、どれもこれもが判で押したように「感動しました」と書いてあって思わずニヤニヤしてしまったが、もしも、そう書くことが内申書の高い評価につながることを知っての事だとしたら、学校現場の現実は実に根が深いなぁと、深いため息をつきました。

 

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