賢人の雑学:個の成熟・アメリカVS個の未成熟・日本
[賢人の雑学]
佐藤弘樹の英語回帰 (2007.07.04)

銃の恐怖をまざまざと見せつける事件が続いている。今回のアメリカの銃乱射事件に対するアメリカ社会の反応は、これまでの事件と同じように「悲劇→銃規制→憲法規定→基本的権利→圧力団体→支持母体→政権維持→うやむや」と同じ所を堂々巡りしているように見える。
銃規制を巡る議論にはアメリカ社会の根強い「相互不信」が見え隠れする。そしてこの「相互不信」を別の言い方でいえば「個の確立」。つまり、自分以外は信用ならず油断も隙もありゃしないから、個を確立させるしか安全に生きていく術がないほど相互不信が蔓延している、ということではなかろうか。
日本はこの60余年、アメリカから”個が確立していない“と言われ続けてきた。「個の確立」を換言すれば「相互不信」になるのだとすれば、「個の未成熟」は「相互信頼」の裏返し。互いに信頼し合う社会では、世間に顔向けできないようなことはしない。自分以外の「人」に様という敬語をつけて「人様」と呼ぶ社会。他人の疲れに「お」をつけてさらに「さん」づけして「おつかれさん」と労わり合う社会。いずれもそのニュアンスは英語には訳せない。利害関係のない他人に敬意を表す義務はなく、あなたの疲れはあなたの責任。周りがどうであろうと私の権利は私が守る。そうして自分さえ良ければとばかりに、抜け駆け、裏切り、騙しが充満し、不信感に苛まれる世間では、おちおち安心して寝てもいられない。信じられるのは、権力、金、若さ、そして絶え間ない自己主張。
日本は、寿司屋で時価のネタを注文してもお勘定のときに「このウニは100万円です」と言われることはない社会だが、それを、アンフェアでグローバルスタンダードに合わない「遅れた社会」と言い続けてきたのはアメリカ人だけではない。本当は怖いけれど誰も頼れないから無理して頑張る「個」が彷徨う社会。そんな中で個が追い詰められて八方塞になった時、身近に銃があればどうなるか。
「個の確立」VS「個の未成熟」と「相互不信」VS「相互信頼」。どちらに光を当てるかによって全体像は大きく違って見える。
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