賢人の雑学:学校は何するところ?
[賢人の雑学]
佐藤弘樹の英語回帰 (2008.10.11)


現代社会はストレスだらけ。その原因の大部分は「人間関係」だという。確かに「ことば」が通じない場面が増えた、と老いも若きも感じている。
日本中のほとんどの大学が学生による授業アンケートなるものを実施するようになって随分経ち定着した。教員はこれによってほぼ“丸裸”にさせられるが、これによって、かつていた、30分遅刻してきて30分早く帰る多忙教授や、いつも妙に酒臭い豪傑教授、などはさすがに姿を消した(と思う)。
先日、学生の要望を整理していて面白いことに気がついた。例えば、授業でもっと○○○をして欲しい、という希望を教員に伝える際に、『もっと○○○していただけると嬉しいです(^o^)』の絵文字派、『もっと○○○すべきだ、断固要求』のアジ演説組、そして『もっと○○○しろ!!!!!』の問答無用落書きグループ。
彼らがこれらを自在に使い分けられるのなら、それはそれで考えようもあるが、ひょっとして、自分の要求を表明するのに、このうちの1種類しか使えないのだとしたら、これは由々しき問題だ。
ある練習問題の答えは1番、2番、3番の中のどれですかと聞けば、今の日本では、小学生から大学生まで、ほぼ例外なく「番号」だけで答える。正しくは「(私は)答えは3番だと思います」と言うべきところを、思春期の恥じらい故か、省略して番号だけを言うのだろうと思ってきた我々大人の思惑とは違って、いまや本当に番号だけを答えることが「正しい答え方」だと思っている子供たちがいるように思えてならない。
その子供たちが、やがて学校を終えて社会に出る。小売業の接客の場面で「これ、いくらですか」と聞かれて店員として「1000円」としか答えないと叱られるわけだが、3番という答え方が学校では正解だったのに、社会では1000円と答えて叱られるのでは、そりゃ戸惑って3年でやめてしまうのも無理はない。
学校は社会へ出るための準備機関であるはずだが、その準備機関で身につけた言葉遣いが社会では認められない。いったいいつからこんなことになってしまったのか。「言葉は、人のためならず」。何かを勧められて、ついつい「いらん」の一言で済ませていませんか?
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