賢人の雑学:何か変だよ、日本語使い
[賢人の雑学]
佐藤弘樹の英語回帰 (2008.10.11)


「問うに落ちず語るに落ちる」という通り、何気ない言葉遣いにその人の心の中が透けて見えることは珍しくない。言葉は、乱暴であるよりは丁寧であるほうが良いのだが、度を過ぎると慇懃無礼といわれてしまう。誠に言葉は難しい。
こましゃくれた子供が小ざかしい物言いをする一方で、大の大人が幼稚で不正確な言葉遣いをする。「口のきき方」を注意する大人が絶滅した当然の結果か。
さすがに最近は「おビール」という女性は少なくなったが、いつの間にか「お洋服」や「お帽子」や「お友達」と言う女性が増えた気がする。「お」をつければ丁寧になると思っての事だろうが、小さな子供相手以外には「お靴」とは言わないし、決して「お髪」とは言わないのがミソである。子供っぽさを可愛らしさと勘違いしたのか、この言葉遣いが現代女性社会では広く通用するらしい。「私のお友達の○○さんが」と言う中年女性は、そこに「友達」にない「高級感」を込めているのか。中年サラリーマン男性が「これもお仕事ですから」と言えば、「仕事」にはないニュアンスを込めたと感じるのは私だけではないだろう。
「言葉は思想」であると同時に「思想は感覚」でもある。「なんとなく変だ、妙だ」という感覚は“思想”に基づいており、それは普段 の何気ない言葉遣いに表れる。
我々は「今はそんな言葉、もう使わない」という合言葉によって、どれほどの思想を、「死語」として排除してきたことだろう。その中には時代の潮流に合わないと判断した我々が積極的に捨ててきた「捨語」とでも言うべき言葉がある。
大量消費礼賛文化と共に「もったいない」が消え、自分の非を認めない文化からは「潔さ」が消え、八百万(やおよろず)の神々への畏敬の念の喪失から「畏れ多い」と「うしろめたい」と「かたじけない」が消えた。ものを食べながら裸祭りのような姿で歩き回る文化から「はしたない」が消え、差異を無視する無謀な平等論からは「らしくない」が消え、全てを金銭的価値に換算してそれでしか評価しない社会から「さもしい」や「いやしい」や「浅ましい」が消えた。
「かわい〜ぃ」と「やさしい」と「すご〜い」だけでは、動物の鳴き声に等しいではないか。ガオォー。
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