賢人の雑学:悪いのは私じゃない症候群
[賢人の雑学]
佐藤弘樹の英語回帰 (2010.03.10)


輿論(よろん)は、本当のところ、どのようにして形成されているのだろうか。流行(はやり)のメークや来年の流行色は、何人かが額をつき合わせて会議室で決めているので実も害もないが、空気のようにゆっくりと一方向に流れていく「輿論」は、国の命運を決する重大事だけに、スカートの丈のように簡単に長くしたり短くしたりするわけにはいかない。
先日、興味深い議論の現場に立ち会った。最初は酒を傾けながらの他愛もない会話だったが、やがて昨今のデフレ経済情勢から、参加者それぞれの会社の窮状直訴合戦になった。ある大企業の管理職曰く、「○○や××は明らかに会社の契約違反。裁判沙汰でもおかしくない」。これには多くのサラリーマンが大きく頷いた。そこへ脱サラで農業をしている中年男性が次のように発言した。「俺は台風や冷夏を訴えようと思ったことは一度もない」(ちなみに、彼は農協にも所属していない)。
これには全員絶句した。彼は訥々(とつとつ)と続ける。「俺は遅刻も早退も欠勤も自由。誰に文句を言われることもない。ただし有給休暇も忌引き休暇も家族手当も通勤手当もない。勿論ボーナスもない。自分が病気だろうが親が死のうが子供が病気だろうが、つまり理由がどれほど正当でお気の毒でも、働かなければ秋に収穫を得られないという厳然たる事実には変わりがない。しかも、毎日懸命に働いたからといって収穫が確実にあるという保証は何処にもない」。
戦前は日本人の多くは農家だった。毎日黙々と大地と向き合う彼らは「今日は働く気がしない」という声を“怠け者” と一笑に付しただろう。社会的弱者への配慮のない社会とも言えるが、そういう個人個人の集合体が一定の輿論を形成していた。
現代はサラリーマンが圧倒的に多い。基本給の他に各種手当てが支給され、いざとなれば有給休暇がある。親の葬式で休んだからといって叱責されるサラリーマンはいないだろう。朝起きられなかったのはストレスからくる不眠のせいで私は悪くない、有給休暇の後に働く気がしないのは俺のせいではない。メタボとやらでスポーツクラブに通う時間もないのは不満で、接待の酒が残って二日酔いで辛いのは会社のせい。常に不満を口にして弱者のフリをした方が得だと一部の人間が考えたとすれば、それもまた輿論の一部になってしまうかもしれない。
責任を他に求めるのは、自分に非があるかもという不安を取り除く最良の行動であり、「おまえが悪い」と言われないようにするため、「社会的なまはげ」となって「悪い奴はイネぇガぁぁ」と捜し歩く先制攻撃だろうが、果たしてそんなギスギスしたゴネ得の世の中に生きる事を誰が望むだろう。例え「悪いのは○○だ」とうまく言い逃れできたとしても、いつなんどき次の犯人探しの標的にされかねない。恐るべき悪循環。
悪いのは私じゃない症候群とでもいうべき現代にあって、もしも“秋” に収穫が得られなかった時、困るのは我々自身に他ならないのだが。
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