大人組、美味しい店101軒、The Whisky Worldなど雑誌・書籍販売

賢人の雑学:空気を読む

[賢人の雑学]

佐藤弘樹の英語回帰

空気を読む
佐藤弘樹の英語回帰
 

山本七平氏に「空気の研究」という名著がある。KYに代表される対人関係の空気から世の中を覆い尽くす時代の空気まで色々だが、今流れている空気は何処から漂ってきた空気なのかを考えてみることは決して無駄ではないだろう。

「時代は点ではなく線である」は、蓋し名言だが、歴史を遡るとククッと音を立てたであろう時代の分岐点が見えてくる。

「なぜ日本国内に米軍が駐留しているのか」という素朴な質問への解答は日米安全保障条約があるからが正解なのだが、この条約はすったもんだの末に大変な難産だった。今年は1960年の安保改定から丁度50年の節目に当たる。

一般的に、時代をその後の時代の基準で批判することは易しい。問題は当時の市井の物言わぬ有権者の無言の空気がどうであったかということにつきる。

60年安保とは「アンポハンタイ」というお祭りだと思っていたというビートたけしの証言もあるように、それが国民的なムーブメントであったことは事実。問題は当時漂っていた空気にある。

1960年は1945年の敗戦から15年後。もはや戦後ではないと言われつつも戦争の傷跡が深く残っていた時代。デモで反対の意思を示した若者の一人が仮に25歳だとしよう。彼は敗戦時10歳の子供。食べ物がなくて苦労はしただろうが戦争の実相を知るよしもない。かたや苦渋の決断で安保改定やむなしと考えた50歳は敗戦時35歳。戦争の悲惨さを身をもって体験し、二度とゴメンだと堅く心に誓った世代だろう。

国の安全保障政策を単純に考えれば、非武装中立、重武装中立、そして同盟関係の3つしかない。非武装中立はマーいいとして、同盟関係が嫌ならば、残る選択肢は重武装中立しかないわけだが、かつて兵隊にとられて軍服を着て鉄砲を担いで九死に一生を得た人たちが、当時心底から「いざとなったらもう一度」と思っただろうか。そして絶対反対を唱えた若者も「いざとなったらこの俺が」と思ったかどうかは疑わしい。

その当時の50歳が100歳を超えて多くが鬼籍に入り、当時の25歳が75歳になろうとする現代に、我々に改めて突きつけられているこの問題はとてつもなく重い。

人類の歴史を冷静に俯瞰すれば、戦後は実は戦前で、戦前は実は戦後だという事実に慄然とする。「とりあえず・とりあえず」の戦後は実は戦前なのかもしれないのだが、こんな時代の国の舵取りを担う政治家のアレやコレやには寒々とさせられる。

 

バックナンバー