賢人の雑学:造作する莫れ
[賢人の雑学]
中村義明の一棟梁談 (2007.11.05)


片桐石州の言葉に「寂びたるはよし、寂ばしたるは悪しき」云々とある。誠に金言である。わざわざ寂びさせたのは駄目だと教えているのである。何故「井戸」が美しいのか。それば「寂びたもの」だからである。何ゆえ「楽」は見劣りするのか。それは「寂ばしたもの」だからである。「楽」の造作された渋さは、実は逆に派手なのだ。この指摘は、柳宗悦氏の「井戸」と「楽」の名文である。
建築にしろ作品を製作するにあたり、我々はものの形に対する美しさを求め、醜さに立ち向かう。「塵を払って仏を見る時如何」。師云く、「仏も亦是れ塵」。この問答は、「塵を払う」ということが一義的な行いではないと警告している。「楽」はいつも造作に終わる。少なくとも今までの「楽」はそうである。趣向を凝らし、風流を狙い、味わいを図った仕事である。奔放な手造り、形の歪み、膚の荒々しさ、一見全てが無造作に見えても、無造作を装う造作に止まる。臨済禅師は「但だ造作する莫(なか)れ」と訓えている。作品を作る、デザインをすることの難しさは、そこにある。難の道、自力の道で徹する者が創り得るのである。
建築を請け負った時にしばしば不思議なことに出会う。色々な材料が出現するのである。私自身、多量多種の建築素材に恵まれて、素材から多くのことを教えられ、素材から建築のデザインが出来上がる。予算があっても材料が出て来ない時もある。今回、東京のプロジェクトにおいて、コンクリートの打ち放しの入口のデザインに関して面白い素材が現れた。和と洋の空間の接点は大変難しい。先日、岐阜から神代杉の情報があり、その材を見に行くと、長さ4mで柾目の幅が1mから1・3m。即座にコンクリート打ち放しの入口扉に使えると感じた。素材との出会いが、素晴らしい建築を創り出させてくれる。美醜二見の葛藤に身を沈めぬよう、今後も自然体であるがままの姿で建築空間を創り出そうと思う。
筆者プロフィール

[中村外二工務店代表] 中村義明さん
数奇屋建築の名匠、故中村外二の次男。菊乃井本店、俵屋、MIHO美術館造園など、全国の伝統建築・改修工事に多数従事。
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