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賢人の雑学:追悼 山田宗敏老師

[賢人の雑学]

中村義明の一棟梁談

追悼 山田宗敏老師
中村義明の一棟梁談
 

大徳寺真珠庵の山田宗敏老師が、87年間の生涯を終わられ、この3月遷化された。私にとって亡き父に勝る人生の師であった。75年間、大徳寺に住まいし、50年間、真珠庵住職として多くの信者に影響を与えた。晩年は本堂の裏でひっそりと過ごされ、85歳を過ぎても毎朝読経と、足を引きずりながらも一休宗純和尚をはじめ尾和宗臨、世阿弥、茶祖である村田珠光、連歌師の宗長、能の金春の墓所を竹箒で掃除されていた。

「汝等諸人、此の山中に来て道のために頭を聚む」。大徳寺の僧侶が毎朝唱えている「興禅大燈国師の遺誡」の冒頭の一文である。道の根本を究めることを第一義として、余の事は二の次であると断言したものだ。宗敏老師は常に己の我が道を究めよと教えられた。数年前、小生も60歳になるというので碧厳録を買い揃えたと話をすると、「仏教のことは坊主に任せて自分の仕事をしなさい」とお教えいただいた。「衣食の為にする事莫れ」。これは即ち、暖衣飽食を目的とするな、つまり経済的なことを考えてはいけない、真面目にやっておれば生きていく為の衣と食は必ずついてくると。老師の日常の衣服は自分自身で針と糸で直された見事なまでのパッチワークで、見方を変えると非常にモダンであり、三宅一生さんにでも見せてあげたい衣服であった。無論、老師のお姿は品位があり、自然と私自身が清められるようだった。

真珠庵という寺も老師そのもので、建物に立ちつくすと心が洗われる無心の境致の場所である。京都には多くの寺院があるが、寺院空間に座して無心の境致になれる場所は多くはない。「一に掃除、二に掃除、三、四にも掃除、心の掃除も行うこと」と、真夏の炎天下で庭の草引きをしておられた老師を思い出す。11月の紅葉の季節でさえ、真珠庵は表庭だけでなく裏庭まで、葉っぱ一枚落ちていなかった。道の根本を究めることは、己事を究明し、「自己の仏心、仏性を究明することが大事である」という、言葉でなく行動で私に示しておられた。

人間は時として、対峙できる人間が必要だ。対座し、鏡の如く映るような人が。老師が亡くなり悲しむのではなく、老師とお会い出来たことに感謝して、今後も、目を閉じ心の中で老師と対座することだろう。合掌。

筆者プロフィール

中村義明さん

[中村外二工務店代表] 中村義明さん

1946年、京都生まれ。
数奇屋建築の名匠、故中村外二の次男。菊乃井本店、俵屋、MIHO美術館造園など、全国の伝統建築・改修工事に多数従事。

 

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