賢人の雑学:松下幸之助さんの見果てぬ夢
[賢人の雑学]
中 博の複眼涼視 (2008.11.11)


二世総理が巷の暴走老人のように急に政権を投げ出した夏のある日、思い立って松下幸之助さんのお墓参りに出かけた。場所は、旧住所で言えば和歌山県海草郡字千旦。JR和歌山駅から2駅の千旦駅近くである。早朝東京を発ち、羽田から関西空港を経て11時過ぎに到着した。
この千旦の地に、幸之助さんの生家がある。誕生された時は長屋門のある大屋敷で、大勢の使用人に囲まれた幸せなスタートだった。それが幸之助さん3歳の時、父親が米相場で失敗し倒産、9歳にして大阪に丁稚奉公することから、その稀有な人生がはじまる。生家のあった場所には湯川秀樹さんの書で「松下幸之助君生誕の碑」と刻まれた緑泥片岩の大きな碑があり、その前に立ち、在りし日の幸之助さんを思い出した。
私は以前、松下電器に奉職していたが、前半は経営企画室員として時折経営報告などで幸之助さんに接していた。そして後半は幸之助さんの国を想う熱情に背中を押され、サラリーマンの領域をはるかに超える業務に汗出していた。
幸之助さんの勧めで、先日政界引退を表明した若き時代の河野洋平さんの事務所に詰め、新自由クラブの盛衰を目の当たりにした。洋平さんに新しい政治と新しい日本の創造を期待したが、新自由クラブは崩壊。その後ますます日本の政治、政党を憂う心が高まり、特に当時の自民党への失望感にはすさまじいものがあった。あまり世に語られてない秘話だが、ついにこの時、幸之助さんは自らの資産をなげうって新しい政党を創設せんとしたことがあった。
「経済がいかに良くても政治が貧困であれば、やがて日本は駄目になる」との怒りと焦燥感のなか、日本のために80歳にして立ち上がったのだ。ずばり自民党をぶっ壊し、新しい政治体制の誕生を強く願ったのである。私は幾夜か徹夜をして、新しい政党・第二自民党構想をまとめた日々のことが、今でも鮮やかに蘇ってくる。
いま松下幸之助さんがご存命で、今日の政治、特に自民党の体たらくを見たらどのような思いをされるか、と碑の前でしばし熟考した。現在の日本の状況はあの時以上に危機的である。当時、日本にはまだ数々の可能性が残されていた。しかし今は、志なき政治家と官僚の跋扈で、すぐそこに「4流国日本」の現実が待ち受けている。経営者、ビジネスマン、市民、学生はなぜ立ち上がらないのか。幸之助さんが泣いているのが見える。
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