<?xml version="1.0" encoding="EUC-JP"?>
<rss version="2.0">
   <channel>
      <title>賢人の雑学</title>
      <link>http://www.otonagumi.com/column/</link>
      <description></description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2008</copyright>
      <lastBuildDate>Fri, 02 May 2008 13:10:23 +0900</lastBuildDate>
      <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
      <docs>http://blogs.law.harvard.edu/tech/rss</docs> 

            <item>
         <title>「あたご」か「おたぎ」か</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>池田末則の地理魍魎  <span class="col_entry_date">(2008.05.02)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col01_013_01.gif" alt="「あたご」か「おたぎ」か"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col01.gif" width="155" height="94" alt="池田末則の地理魍魎"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>海上自衛隊のイージス艦の海難事故で「あたご」の名が一躍有名になった&#8212;。その「あたご」というのは、京都市左京区嵯峨（さが）愛宕町の愛宕神社を根本社とする愛宕権現（あたごごんげん）で、「鎮火の神」として広く尊崇されています。歴史的には「あたご」は「阿多古（あたご）」で「阿当（あたご）」とも書きますが、「愛宕（あたう）」の文字を「あたご」と訓（よ）むことは珍しいことで、中には「仇子（あだこ）」と書くこともあって、その「ことば」を忌み、愛宕（あたご）に改めたといったのは江戸時代の学者、伴信友（ばんのぶとも）であるとも。</p>
<p>たとえば、「天香久山」のカグは『万葉集』では「高山」と書いたのです。この「高」は古くは「かう」で、今では「こう」です。この「かう」の「う」が「ぐ」に変わったのは、「淡江（あわうみ） 」が「近江（おうみ） 」に、「愛宕（あたう）」が「あたご」に転じた例と同じです。京都府の相楽（そうらく）の郡名もはじめは「相楽（さがら）郡」であったわけです。地名はいくたびも発音と改字を繰り返しています。</p>
<p>さて、「あたご」はさらに転訛して「おたぎ」（於太支・於多木など）、または「おとぎ」となり、「乙訓（おとくに）」の郡名になったという説もあります。</p>
<p>奈良市の平城宮跡から発掘された木簡（もっかん）（木片に書かれた文書）に、奈良時代の下級役人、出雲臣の安麻呂（やすまろ）が、年二十九歳、「山背（やましろ）国乙当（おたぎ）郡の人、上日・三百廿、夕・一百八十五」とあります。これは安麻呂の勤務評定であったらしく、一ヵ年の勤務日数三二〇日、夜勤約一八五日で、当時の生活の有様が理解されます。この木簡の地名「山背国」は、都が平城宮（ならのみやこ）から移ったとき、平城の「城」を用い、「山背」の地名を「山城」に変えたのです。ところが、「城」の漢字は「キ」または「ジョウ」であって、「シロ」とは読めないのです。それでも、王城の地にふさわしい「山城」の佳字とし、「山城（やましろ）」以外には「シロ」と読めなかったのです。さらに、木簡にある「山背国乙訓郡」の「訓」も「クン」であって「クニ」とは訓めないのです。大和国平群（へぐり）の郡名もヘグニ（辺国）から転音・改字したものです。ちなみに、戦前の「山城」「愛宕」や今回のイージス艦「あたご」などの戦艦名も思えば、「ふるさと」京都の地名であったのです。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_40.html">大人組 Kansai 2008年6月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup01.jpg" alt="池田末則さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[日本地名学研究所長]</span> 池田末則さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">元奈良大学講師（地名伝承学）、前奈良市文化財保護審議会委員・文学博士。著書に『日本地名学伝承論』（平凡社）、『地名伝承の研究』（KK名著出版）、『大和地名大辞典』（名著普及会）、近刊に『地名伝承学論』（クレス出版）など。古代の文化遺産としての地名の研究・保存につとめる。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col01/col01_013.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col01/col01_013.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001|col01|池田末則の地理魍魎</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 02 May 2008 13:10:23 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>皐月の商魂、ここにあり</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>福井栄一の上方志向 <span class="col_entry_date">(2008.05.02)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col02_013_01.gif" alt="皐月の商魂、ここにあり"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col02.gif" width="155" height="94" alt="福井栄一の上方志向"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>陰暦五月の異称は「皐月（さつき）」。「さ」は稲の古語ですから、「さつき」とは、「稲の月」つまりは「田植月」のことです。</p>
<p>「さつき」を詠み込んだ多くの和歌の中で、古典の教科書にもたびたび登場する名歌が、 さつき待つ　花橘（はなたちばな）の　香をかげば 昔の人の　袖の香ぞする （『古今和歌集』よみ人しらず）です。</p>
<p>橘については、『古事記』や『日本書紀』が面白い逸話を伝えてくれます。 第十一代垂仁天皇の御世のこと。田道間守（まじまもり）は、天皇の命により、不老不死の妙薬である「非時香果（ときじくのかぐのこのみ）」を求めて、「常世国（とこよのくに）」（海のかなたにあるという伝説の仙境）へ赴きました。苦節十年、ようやく件（くだん）の果実を入手した田道間守は急いで帰国しましたが、時すでに遅く、垂仁天皇はすでに崩御していました。田道間守は持ち帰った非時香果の半分を天皇の御陵に、残り半分を皇后に捧げると、やがて悲嘆のうちにこの世を去りました。そして、この非時香果こそ、現在の橘であるというのです。</p>
<p><img src="../images/col02_013_01.jpg" align="right">ご丁寧なことに、「たちばな」の語源を、「田道間花（たぢまばな）」の転訛とする説もあります。</p>
<p>なお、橘はその独特の香りや味ゆえに、菓子としても珍重されましたから、「非時香果」を日本へもたらしてくれた田道間守は、いつしか「菓祖」（菓子の神様）と崇められるようになりました。</p>
<p>このため、彼を祭神とする中嶋神社（兵庫県豊岡市）は、全国の菓子製造業者の篤い信仰を集めています。</p>
<p>ちなみに、最近では、大和橘の果汁を混ぜたキャンディー「非時香果」、熊野地方の大橘（おおたちばな）を原料にしたリキュール「非時香果」などのアイディア商品が人気。</p>
<p>現代人の商魂の逞しさには、さしもの田道間守もビックリでしょう。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_40.html">大人組 Kansai 2008年6月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup10.jpg" alt="福井栄一さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[上方文化評論家]</span> 福井栄一さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">大阪府吹田市出身。<br>
上方舞を中心とする上方の芸能、歴史文化に関する評論を発表するとともに、各地で精力的に講演活動を行う。著書に、<br>
『上方学』（PHP文庫）、『にんげん百物語』（技報堂出版）、<br>
『大阪人の「うまいこと言う」技術』（PHP新書）、<br>
『ぼく　いちびり』（プラネットバルン）、など執筆多数。<br>
<a href="http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Egetsuei99/" target="_blank">http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99/</a></div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col02/col02_013.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col02/col02_013.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002|col02|福井栄一の上方志向</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 02 May 2008 12:06:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>さくら・桜・稚桜(わかさくら)</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>池田末則の地理魍魎  <span class="col_entry_date">(2008.04.30)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col01_012_01.gif" alt="さくら・桜・稚桜(わかさくら)"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col01.gif" width="155" height="94" alt="池田末則の地理魍魎"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>『万葉集』に桜児(さくらのこ)という乙女(おとめ)がありました。その乙女を妻にしようとした二人の壯男(おとこ)が、生命(いのち)をかけて相争ったのです。時に乙女は「一人の身にして二夫に仕えることができない。自分さえ死なば二人も争うこともあるまい」と考え、林の中に入り、樹に下(さが)って亡くなったのです。二人の壯夫は大いにうち悲しみ、その心持ちをのべ、各自、一首の歌を残したのです。</p>
<p>春去らば　かざしにせむとわが思ひし、桜の花は散りにけるかも（十六&#8212;三六八六）<br>
（春ともなれば、挿頭(かんざし)にしようと、思っていた桜の花も、散ってしまった。いとしい彼女もいなくなった&#8212;。）</p>
<p>妹(いも)が名にかけたる桜、花咲かば、常にや恋ひむ、いや年のはに（十六&#8212;三七八七）<br>
（桜はかつての愛人の名、桜の花が今年も咲いている、咲くことに、その恋人を思い出してならない&#8212;）</p>
<p>とあります。いわゆる妻争(つまあらそ)い伝説の一種で、大和三山（畝火(うねび)山・香(かぐ)山・耳成(みみなし)山）の一つ、畝傍山東方の「桜川」のほとりに、その「娘女塚(おとめづか)」の存在を伝えています。</p>
<p>また、よく似た話が『万葉集』（十六&#8212;一七八八）にあります。むかし、三人の壯夫に恋い慕われた、乙女蔓児(かつらこ)は、如何せんと悲しみ、耳成の池に身を投じたのです。三人の壯夫各自が一首の哀歌を残したというのです。</p>
<p>さらに、香山東北近くの、市磯池の桜花にちなむ地名伝承が『日本書紀』履中(りちゅう)天皇紀にみえます。</p>
<p>天皇の三年十一月条に、天皇が両枝(ふたまた)船を磐余(いわれ)の市磯池にうかべて遊宴(あそび)をしていると、天皇の御盞(みさかつき)に、季節はずれの桜花が散ってきたのです。天皇は「非時(ときじく)のこの桜花、何処(いずこ)の花ならむ」と、花を求めると、やがて掖上(わきがみ)の室(むろ)山の花をえて献(たてまつ)り、その希有(めずら)しいことにちなみ、宮都(みやこ)の名を、磐余稚桜宮と号(な)づけたのです。現在の桜井市の大字谷の若桜神社（『延喜式』内社）付近が磐余の地域と考えられています。大字谷はクラの意で「谷」のこと。同市内には小倉、口倉、滝倉(たきのくら)、佐倉(さくら)→朝倉（雄略天皇宮）、倉橋（崇峻(すしゆん)天皇倉橋宮)などがみえ、県内には「サクラ」関係の地名ともなると約一八○例もあります。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup01.jpg" alt="池田末則さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[日本地名学研究所長]</span> 池田末則さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">元奈良大学講師（地名伝承学）、前奈良市文化財保護審議会委員・文学博士。著書に『日本地名学伝承論』（平凡社）、『地名伝承の研究』（KK名著出版）、『大和地名大辞典』（名著普及会）、近刊に『地名伝承学論』（クレス出版）など。古代の文化遺産としての地名の研究・保存につとめる。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col01/col01_012.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col01/col01_012.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001|col01|池田末則の地理魍魎</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 10:47:58 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>適塾だけじゃないんです</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>福井栄一の上方志向 <span class="col_entry_date">(2008.04.30)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col02_012_01.gif" alt="適塾だけじゃないんです"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col02.gif" width="155" height="94" alt="福井栄一の上方志向"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>現代日本において28歳の男性といえば、多くは、大学卒業後、サラリーマンになって数年の若造でありましょう。いい歳をして、高校生が読むのとおなじコミック誌を電車の中で読みふけりニヤニヤしている、あの手合いです。</p>
<p>けれども、緒方洪庵（１８１０&#12316;１８６３年）のような俊才ともなると、話はちがいました。備中生まれの洪庵は、21歳で江戸に出て蘭学を学び、27歳で長崎に下ってオランダ医学の修業。そして、弱冠28歳で、大坂に適塾という蘭学塾を開きました。以後、25年にわたって約１０００人の若者を教育し、次代を担う優秀な人材を次々に輩出しました。塾生としては、福沢諭吉、大村益次郎、橋本左内などが、特に有名です。</p>
<p>ところで、適塾の声価の高さの故に、ややもすると忘れられがちなのですが、洪庵には、もうひとつ別の業績があります。それは、「除痘館」の設置です。</p>
<p>除痘館とは、イギリスのジェンナーの発見した牛痘種痘法をいち早く日本へ普及させるための拠点施設です。場所は大坂・古手町といいますから、いまの道修町あたりですね。適塾の開塾から11年後、１８４９（嘉永２）年のことでした。当時、庶民の医学知識など無きに等しかったですから、牛痘のかさぶたを腕に移植されると聞かされた人々は仰天し、なかなか館へは寄りつきませんでした。</p>
<p>それでも、洪庵らは、根強い偏見や執拗ないやがらせと戦いながら、普及啓蒙に努めました。その努力が実って、除痘館が日本最初の官許を受けたのは、いまから１５０年前の１８５８（安政５）年４月24日のことでした。</p>
<p>なお、関係者の念願がかない、２００７（平成19年）年３月29日には、大阪市中央区今橋３丁目の緒方ビル内に「除痘館記念資料室」がオープンしました。</p>
<p>陽春の候、みなさまにおかれましても、適塾のみならずこの資料室にも足を運ばれ、医学者としての洪庵の業績にも、想いを馳せてみられてはいかがでしょうか。</p>
<p><img src="../images/col02_012_01.jpg"></p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup10.jpg" alt="福井栄一さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[上方文化評論家]</span> 福井栄一さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">大阪府吹田市出身。<br>
上方舞を中心とする上方の芸能、歴史文化に関する評論を発表するとともに、各地で精力的に講演活動を行う。著書に、<br>
『上方学』（PHP文庫）、『にんげん百物語』（技報堂出版）、<br>
『大阪人の「うまいこと言う」技術』（PHP新書）、<br>
『ぼく　いちびり』（プラネットバルン）、など執筆多数。<br>
<a href="http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Egetsuei99/" target="_blank">http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99/</a></div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col02/col02_012.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col02/col02_012.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002|col02|福井栄一の上方志向</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 10:41:29 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>単味と複合の味パート（１）</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>程　一彦の一日薬膳 <span class="col_entry_date">(2008.04.30)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col03_012_01.gif" alt="単味と複合の味パート（１）"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col03.gif" width="155" height="94" alt="程　一彦の一日薬膳"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>食べ物と飲み物は単味と複合の味があります。例えば、料理の美味しさを決めるだしやスープの場合、日本料理は昆布、かつお節、煮干や干し椎茸など。中国と西洋料理は鶏、牛、豚、魚介類の骨や肉を使いますが、一つの材料よりも数種類でだしやスープを作ると旨味成分が増し、単味と違う味になります。中国と西洋のスープは動物特有の臭みとアクを除き、すっきりした味に仕上げようとニンニク、生姜、葱、玉葱、ニンジン、セロリや卵の殻、卵白などを加えてひと工夫します。日本の台所にある旨味調味料（化学調味料が改名）も昔は単味成分でしたが、現在は複合の旨味成分です。</p>
<p><img src="../images/col03_012_01.jpg" align="right">日本の味噌は、米麹、豆麹、麦麹の三種類の赤味噌（別名、田舎みそ）と白味噌（別名、京みそ・西京みそなどの米みそ）の計四種類ですが、お婆ちゃんの知恵袋で『遠い所の味噌を混ぜると良い』といわれているように、数種の「合わせ味噌」は美味です。合わせ味噌のポイントは、夏は暑くて汗をかくので、塩分を濃くするために赤味噌を多く、冬は発汗作用が少ないので白味噌を増やして甘口にします。</p>
<p>二杯酢、三杯酢の和え物。酢豚、酢くらげ、キュウリの酢漬け。西洋のマリネなどは酢が命です。酢は原料の違いで米酢、穀物酢とぶどう、りんご、柑橘類（レモン、ゆず、すだちなど）の果実酢があり、料理に応じてそれぞれの酢の性質・特色を知り、加熱に強いか、風味と酸味を料理に応じて単味か複合かを使い分けます。</p>
<p>代表的な和洋中の香辛料の場合、一味と七味唐辛子とは香りと味が違います。中国の五香粉(ウーシャンフェン)、茴香(ウイキョウ)、肉桂(ニッケイ)、山椒、丁字(チョウジ)、陳皮(チンピ)（乾燥させたみかんの皮）や西洋のオールスパイス、胡椒、クローブ（丁字）、ナツメグ、シナモン（肉桂）などは複合の味覚の優れものです。</p>
<p>このように単味と複合の味、それぞれの特性を理解して使い分けるのがベストです。（次号に続く）</p>
<p>▽お知らせ<br>
▼4／18（金）13時　公開講座<br>
「あなたの知らない食べ物の話」　追手門学院大学6号館（茨木市）<br>
ＴＥＬ０７２・６４１・７４０９</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup08.jpg" alt="程　一彦さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[料理研究家]</span> 程　一彦さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">1937年大阪生まれ。灘高校・関西学院大学卒。<br>
新台湾料理龍譚（リュータン）2代目オーナーシェフ、マスコミや講演などで幅広く活躍。和・洋・中にわたって食と健康の関わりを追究し、“料理のことならテイさん”といわれるくらい定評がある。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col03/col03_012.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col03/col03_012.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">003|col03|程　一彦の一日薬膳</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 00:58:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>含み含まれ</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>佐藤弘樹の英語回帰 <span class="col_entry_date">(2008.04.30)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col04_012_01.gif" alt="含み含まれ"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col04.gif" width="155" height="94" alt="佐藤弘樹の英語回帰"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>外国語を勉強する時の難問の一つは、言葉が持つそれぞれの言外の含み。それは否定的だったり肯定的だったり中立だったり色々だが、日本語を外国語である英語に訳す時には、その“含み”を考慮する必要がある。</p>
<p>例えば、「ああ言えばこう言う」は日本語では、ほぼ否定的なニュアンスでしか使わないが、これを英語に直す時には「（ああ言えばこう言う）ほどに機転が利く賢い人」と褒め言葉にもなりかねない。雄弁は金なりの文化ならでは、だからだろうか。</p>
<p>パーティ会場で知り合った美人に「お仕事は？」と聞いてみよう。</p>
<p>まずはWhat is your job? または What is your occupation?　という英語が頭に浮かぶだろうが、これは例えば市役所で「ご職業は？」と聞かれる時のような形式的な表現で、この状況にはふさわしくない。日本語でも相手に気を使っておそらく「何をされているんですか」といった遠まわしの表現になるのと同じで、英語では What do you do? と言う。これが What are you doing? になると「今何しているの？」と聞くことになるので現在形で“ふだんは”を強調することが大切。</p>
<p>その美人と意気投合して今度、彼女がパーティに招待してくれると言う。これは「失礼がないように」と気を使うところだが、さて、誰かに対して失礼のない様にして欲しいことを伝えるときの「失礼がないように」は英語でどういえばいいだろう。我々の頭に真っ先に浮かぶのはDon't act rude to them. という英語だが、恐らく英語話者（ネイティブ）はこの表現を避けてBe respectful. と言うはず。</p>
<p>これは、発想の違いとしかいえないが、「&#12316;するな」 より 「&#12316;せよ」 の発想のほうが英語にとっては自然で、最後の to them もわかりきっていることをあえて言い、ことさらに他人として強調するニュアンスにもなりかねないので、ここでは言わないほうが無難。怖い顔して「遅刻するなよ」と言う上司より、ニコニコして「時間通りに来いよ」と言う上司の方が若い人たちに好かれる理由がわかるような気もするがどうだろう。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col04/col04_012.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col04/col04_012.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">004|col04|佐藤弘樹の英語回帰</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 00:16:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>さすがサミットホテル</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>井村日登美の日々宿日 <span class="col_entry_date">(2008.04.30)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col08_010_01.gif" alt="さすがサミットホテル"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col08.gif" width="155" height="94" alt="井村日登美の日々宿日"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>世の中不思議なことがいっぱいあるが、ホテル業界での不思議のひとつは、今夏洞爺湖サミットで会場となるホテルのことだ。だって、とてつもなく遠く、とてつもなく不便な場所にあるのだ。</p>
<p>洞爺湖温泉街から、バスガイドが山の上を指さし「皆さま、あれが今夏サミット会場になるホテルです」と説明。当日は吹雪、雪が吹き荒れるなか、よく見ると山の上に一軒家がある。「ええっ？ あんなに遠いの」。そりゃ洞爺湖を一望できるというのが売り物のひとつだから、高いところにあるとは思っていたが、山の上とはびっくり。そしてそこからホテルを目指し、真っ白な山道を登っていくのだが、登れども登れどもホテルは近くならず。温泉街からどれほど過ぎただろうか。</p>
<p>「ホテルに着きました」と、バスガイド。雪のなかに要塞のような建物があった。エントランスは小さく、ロビーに入ると壮大な空間。二層吹き抜けのアトリウムロビーからは洞爺湖の大パノラマが広がる。見とれていたら、後ろからポロロンとピアノとフルートの演奏が始まる。ウエルカムミュージックとウエルカムコーヒーでお出迎えである。さすが、サミット開催ホテル。ニクイことするねえ。</p>
<p><img src="../images/col08_010_01.jpg" align="right">客室からも洞爺湖が一望できるロケーション。こりゃ世界の賓客は喜ぶであろう。部屋は狭くなく広くなく、バスルームはゴージャスであり、ゴージャスでなし。さすがにリゾートだけに携帯メールは即座に通じるも、パソコンメールは即座には通じない。ここまで来て仕事はダメよ、である。テレビは厚めのビンテージもの。温泉浴場もあり、部屋からバスローブ姿で行ける快適さ。浴衣にスリッパはダメだが、バスローブはいいのだ。</p>
<p>いろいろホテルの館内を見てまわるうちにわかった。なぜ、同ホテルがサミット会場に選ばれたのか。安全性である。以前、国賓を迎えるホテルの条件は？と尋ねたら、「警備がしやすいこと」だといわれた。考えてみれば、このホテルは抜群に警備がしやすい。まず遠い、山の上、一軒家、そして極めつけはオーナーが大きな警備会社だったのである。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup02.jpg" alt="井村日登美さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[ホスピタリティ研究所「エイチ・ワン」代表]</span> 井村日登美さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">ホテルのサービス研究をテーマに、国内外数百軒のホテルを泊まり歩く。ホテルや旅館向けのコーディネート、講演会、専門誌への執筆活動などで活躍。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col08/col08_010.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col08/col08_010.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">008|col08|井村日登美の日々宿日</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 00:11:32 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>カントリー音楽の世界で大活躍の日本人</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>森本剛史の深旅遠望 <span class="col_entry_date">(2008.04.30)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col06_012_01.gif" alt="カントリー音楽の世界で大活躍の日本人"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col06.gif" width="155" height="94" alt="森本剛史の深旅遠望"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>先日テレビを見ていたら、野球帽を横かぶりしたヒップホップ系黒人歌手ジェロが登場。いきなり、こぶしの利いた演歌「海雪」を歌い始めたのでビックリした。</p>
<p>｢史上初の黒人演歌歌手｣だ。ジェロの演歌を聴きながら、僕はアメリカのカントリー・ミュージックの本場で36年も活動しているマイク伊藤の姿を思い出した。まさにジェロの逆バージョンである。</p>
<p><img src="../images/col06_012_01.jpg" align="right">アメリカの演歌ともいうべき、カントリー音楽の世界。ミズーリ州の「音楽の都」ブランソンは人口６０００人あまりの小さな町だが、40以上の劇場を擁する｢音楽の都｣だ。毎日１２０ものショーが催され、年間８００万人もの人が訪れる。マイクはブランソンの老舗バンド「ボールノーバーズ」の中心的メンバーとして、大活躍しているのである。担当はフィドル（バイオリン）、バンジョー、マンドリン、ウェスタン・ヨーデル。ブランソンのスーパースターのひとりで、僕は彼に現地で３回インタビューした。</p>
<p>そのマイクがこの３月、自叙伝を出版した。タイトルは「音楽から見える『アメリカ』 カントリー＆ウェスタンとともに40年」（彩流社）。彼が１９７１年にアメリカに船で渡り、各地のライブハウスなどでコンテストに出場して連戦連勝する話や、演奏中に強盗に襲われたエピソード、アメリカのショービジネスの裏話、日本人への苦言など、面白い話が満載だ。</p>
<p><img src="../images/col06_012_02.jpg" align="right">マイク伊藤は本名伊藤皓(ひろし)といい、東京の成城で生まれた。明治大学時代には軽音楽部に所属。「ブルーリッジ・マウンテン・ボーイズ」のメンバーとして鳴らした。「同じ部の１年先輩に宇崎竜童さん、奥さんの阿木燿子さんがいてね。阿木さんは当時から美人で有名でした」と笑う。</p>
<p>本の腰巻の推薦文は先輩の宇崎竜童。</p>
<p>｢アメリカで生き、アメリカン・ミュージックを愛し続けてきた日本男児・マイク伊藤が語るアメリカど真ん中。決断の人、努力の人、天性の人、貫く人、運を引き寄せる人……その勇気、貰った！｣。その言に嘘はない。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup13.jpg" alt="森本剛史さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[トラベルライター]</span> 森本剛史さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">和歌山県新宮市出身。<br>
立教大学時代（1970年）、初めての海外旅行を体験し、以来訪れた国は95カ国におよぶ。年間100日は海外。執筆した旅行ガイドブックは『エリアガイド バリ島』（昭文社）をはじめ19冊。旅行記を載せたサイト「旅好堂」が好評。<br>
<a href="http://homepage3.nifty.com/ryokodo/" target="_blank">http://homepage3.nifty.com/ryokodo/</a></div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col06/col06_012.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col06/col06_012.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">006|col06|森本剛史の深旅遠望</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 30 Apr 2008 00:00:10 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>デンマーク家具と私パートII</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>中村義明の一棟梁談 <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col07_012_01.gif" alt="デンマーク家具と私パートII"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col07.gif" width="155" height="94" alt="中村義明の一棟梁談"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>前回の話、デンマーク家具について、もう少し考察しよう。ヨーロッパでも途上国といわれる北欧は、ゴテゴテ装飾で飾る文化が発達せず、質素で派手さがない。自然に対する人間の関わり方が、自然が厳しいゆえに謙虚にならざるを得ない。そのあたりがデザインに共通性となって現れている。実際、デンマーク家具のダイニングチェアは安いものでも一脚10万円ほどで、国産に比べれば高いのだが、使ってみると全然違う。飽きがこないし絶対に壊れない。そして、軽いしお尻が蒸れない。例えばソファーでいうと、革はもちろん、クッションが比べものにならないのだ。なんとか同じ物を日本で作れないかと思い、何度試してもかなわず、少し高価だけれどもデンマークから取り寄せざるを得ない。</p>
<p>ウェグナー、モーゲンセンは、大衆的で誰でも使える家具をデザインしている。森のないデンマークで木の家具を製作している家具デザイナーや職人たちは、素材である木材を大変大事に使っている。徹底して無駄を慎んで製作する。ハンス・ウェグナーの椅子の脚が先細りになっているのは、美しさはもちろん、キャンティレバーで構造的に不要なのだ。デンマーク家具の父と呼ばれるコーア・クリントの椅子は気品に満ち、私の大好きなフィン・ユールは大人の色気さえ感じる。家具は居間の雰囲気をガラリと変えるだけでなく、変な椅子に座ったら体も疲れ、会話も楽しくない。家具を建築の一部として考えないと、上手くいかないのだ。</p>
<p>家具がしっかり見直されないと、本当の暮らしが良くならないと私は考える。家具のもっとも大きな特徴とは、体が触れることだ。体に触れるものは、良し悪しを見た目以上に体で感じる。お尻が痛くなったり、背中が痛くなったり、触覚はもちろん、筋肉にも訴えてくる。もともと日本家屋は、常に触れる対象が畳だった。畳がベッド・椅子・テーブルであったということだ。ただ残念なことに畳を使いこなせない時代になってきて、代わりに洋間と家具がある。同じ予算であるならば、建物を削ってでも良い家具を買ってくださいと、今では建主に話す。椅子を買い求める場合は、何度も座って感じること、それが大事である。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup09.jpg" alt="中村義明さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[中村外二工務店代表]</span> 中村義明さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">1946年、京都生まれ。<br>
数奇屋建築の名匠、故中村外二の次男。菊乃井本店、俵屋、MIHO美術館造園など、全国の伝統建築・改修工事に多数従事。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col07/col07_012.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col07/col07_012.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">007|col07|中村義明の一棟梁談</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 18:18:49 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>歴史を知らない日本人</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>中　博の複眼涼視 <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col10_007_01.gif" alt="歴史を知らない日本人"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col10.gif" width="155" height="94" alt="中　博の複眼涼視"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>日本人の劣化が指摘されるようになって久しい。またその反動なのか、「品格」という言葉が氾濫するという皮肉な現象が続いている。現代日本人が劣化した要因を識者の論から集約してみると、戦争体験がない、神仏を尊ばない、道徳心がない、歴史を学ばない（歴史を知らない）、ということになる。とくに歴史を知らないということについて、私は強く同意したい。わが国は戦争という不幸な時代はあったものの、２０００年という輝かしき歴史を持つ国だ。とりわけ文化という側面を見ると、子孫である我々は世界に対して十分胸が張れる国民である。ところがそうでないのが現実の社会だ。</p>
<p>辻井喬の「新祖国論」の中に「とんでも日本人」の例が記述されており、私は一読してひっくり返った。長野県が生んだ文豪・島崎藤村についての話である。長野には藤村の足跡が多数ある。そのひとつ、かつて藤村がいくつかの名作を書いた旅館に、ある日有名海外ブランドで着飾ったご婦人方の団体バスが到着したときの出来事だ。</p>
<p>その旅館の入口には「藤村ゆかりの宿」という札が掛かっていた。するとそれを見たブランド婦人の一人が「“ふじむらゆかり”って何をした人なの？」と質問し、旅館の番頭さんは咄嗟に何のことかわからなかった、という話である。</p>
<p>私も一瞬この一文の意味が理解できなかった。しばらくして、ああこのご婦人は島崎藤村のことを知らず、且つまた自分の知っているはずのＴＶタレント名の中に“ふじむらゆかり”はないと思って単純に発した質問なんだろう。よくあることなのだ。そう、悲しいけど、どこでも見られることなのだ。</p>
<p>２００年の歴史しかない米国でも、いや２００年しかないからこそ、国民への歴史教育を重視している。高校生の歴史教科書は１０００ページをゆうに超えるボリュームだ。生徒はうんうん唸りながら２００年に取り組んでいる。かたや２０００年の歴史を持つわが国は、２００ページにも満たない教科書。さらに高校では進路によって日本史は履修されない。いや日本史は受験科目としては生徒から忌避されているという、哀れな存在だ。</p>
<p>敗戦という悲惨な歴史の痛手からいまだ抜け出せず、いろいろなタブーの存在でわが国の本来の輝かしき歴史や文化が継承されないとしたら、こんな不幸なことはない。行楽で各地をめぐる際は、その土地の歴史くらい調べて訪れてほしいものである。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_39.html">大人組 Kansai 2008年5月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col10/col10_007.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col10/col10_007.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">010|col10|中　博の複眼涼視</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 18:11:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「梅」・「桃」随想</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>池田末則の地理魍魎  <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col01_011_01.gif" alt="「梅」・「桃」随想"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col01.gif" width="155" height="94" alt="池田末則の地理魍魎"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>梅の香（か）を桜の花に匂（にお）わせて柳の枝に咲かせたい&#8212;とは古い諺です。「梅は百花の魅（さきがけ）」といいますが、先年、秋田県で梅と桜が同時に咲く情景をみたことがあります。『万葉集』には「梅」にちなむ歌がもっとも多く、奈良県では「梅山」「梅本」「梅原」「梅戸」「梅谷」などの地名が約２５０例もあります。中でも「梅ノ木」は１００例近くもあって、大阪市では「梅田」のように淀川筋の「埋め田」に好字化した例もあります。梅は北野天神さんの花ですが、大阪高津では仁徳（にんとく）さんの花ともいいます。</p>
<p>「桃」は『古事記』に伊耶那岐（いざなぎ）命が桃子（もものみ）を投げて邪気をはらったという神話があり、奈良県内には「百市（もものいち）」（桜井市）、百谷（ももたに）（五條市）、「桃之尾」（天理市）、「桃俣（もものまた）」（御杖村）などの古い地名があります。この場合の「百」は「墹（ママ）」（谷間）の地形語に用いた好字です。つまり、一〇（ト）×一〇（ト）が一〇〇でモモ（百）、一〇（ト）×一〇〇〇（チ）がトチ（栃）で、数の多いことをいったようです。</p>
<p>奈良市では奈良の都の唐門（からもん）（羅城門）にちなむ「杏」（カラモモ）の村名があり、山城（やましろ）の国では『応神紀』に「百千足（ももちたる）国の秀（ほ）も見ゆ」というほめことばがあります。</p>
<p><img src="../images/col01_011_01.jpg" align="right">また、古代飛鳥の「桃原」は近世になっても「桃樹多く花時観（み）るべし」とあります（細川谷）。旧伊勢街道の「桃俣」は谷間の岐れ路。奈良市の月ヶ瀬は幕末の頃、頼山陽や斉藤拙堂らが紀行した梅の名所。同地の「桃香野」も、実は「墹ヶ野」を好字化したもの。平地のない谷間では、桃・梅などを植えたのです。梅は観梅の目的ではなく、実は「烏梅（うばい）」（染料に用いるもの）をつくったのです。</p>
<p>京都ことばの「桃尻（ももしり）」は「おいど」の意。桃の実は尻がすわらないことから、すぐ夫婦（みょうと）わかれをする人のこと。大阪の下町の「おいどまつり」は「今日は15日、おいどまつりはーやった」といって男が女の着物の裾をまくって遊んだのです。いま、「おいどまくり」ではセクハラの罪人にされてしまうのでは&#8212;。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_38.html">大人組 Kansai 2008年4月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup01.jpg" alt="池田末則さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[日本地名学研究所長]</span> 池田末則さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">元奈良大学講師（地名伝承学）、前奈良市文化財保護審議会委員・文学博士。著書に『日本地名学伝承論』（平凡社）、『地名伝承の研究』（KK名著出版）、『大和地名大辞典』（名著普及会）、近刊に『地名伝承学論』（クレス出版）など。古代の文化遺産としての地名の研究・保存につとめる。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col01/col01_011.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col01/col01_011.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">001|col01|池田末則の地理魍魎</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 17:59:56 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>『桜につきものなのは…』</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>福井栄一の上方志向 <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col02_011_01.gif" alt="『桜につきものなのは…』"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col02.gif" width="155" height="94" alt="福井栄一の上方志向"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>芭蕉に、「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という句があります。桜の花が、雲と見紛（みまが）うばかりに満開のころ、花見に出かけますと、鐘の音が聞こえてきます。はて、あの音は上野から聞こえてくるのか、それとも浅草からかな、という一瞬の心の動きを詠んだ句です。ちなみに、上野とは寛永寺、浅草とは浅草寺のこと。</p>
<p>さて、今でこそ私たちは、「春」と聞かされれば「花見！」と条件反射で答えますが、桜の花が咲くやいなや野山へ見物に出かけるという、ささやかな贅沢を庶民（考えて見れば、俳聖・芭蕉とて、お大名でも豪商でもなく、一介の庶民です）も享受するようになったのは、戦乱が絶えた近世以降のことと言われています。</p>
<p>日本の花見の特色として、多くの学者は「群桜」「群集」「飲食」を挙げるのですが、いかにも無粋な彼らの言いそうなことです。大事な「遊興」という要素が抜けていますよね。花見客は、純然たる栄養補給のために花の雲の下へ集うのではありません。歌舞音曲の競演、「ハレの日」の楽しみあっての花見なのです。</p>
<p>落語『百年目』に登場する番頭も、そうした愉楽に魅せられた一人。お店（たな）では堅物で通っている番頭は、裏へ回れば、なかなかの遊び人。今日もなじみの芸妓衆と、桜の宮へ花見に繰り出します。酒の酔いも手伝って、ニワカ芝居やめんない千鳥に興じますが、じゃれかかった相手が悪かった。仲間と花見に来ていたお店の主人だったのです。番頭は「旦那さん、えらいご無沙汰で…」としどろもどろの挨拶をして、店へ逃げ帰ります。しばらくすると、主人からの呼び出し。クビにされるのを覚悟で恐る恐る顔を出しますと、主人は怒るどころか<img src="../images/col02_011_01.jpg" align="right">「番頭ともなれば、あのくらいの甲斐性がないと、商いの切っ先が鈍ります」と却って褒めてくれました。安心する番頭に主人が訊ねます。「ところで、あの時は妙な挨拶でしたな。毎日顔を合わしているワシに『ご無沙汰です』とは？」「あぁ、あれは『ここでお逢うたが百年目や』と思いましたもんで…。」</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_38.html">大人組 Kansai 2008年4月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup10.jpg" alt="福井栄一さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[上方文化評論家]</span> 福井栄一さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">大阪府吹田市出身。<br>
上方舞を中心とする上方の芸能、歴史文化に関する評論を発表するとともに、各地で精力的に講演活動を行う。著書に、<br>
『上方学』（PHP文庫）、『にんげん百物語』（技報堂出版）、<br>
『大阪人の「うまいこと言う」技術』（PHP新書）、<br>
『ぼく　いちびり』（プラネットバルン）、など執筆多数。<br>
<a href="http://www7a.biglobe.ne.jp/%7Egetsuei99/" target="_blank">http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99/</a></div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col02/col02_011.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col02/col02_011.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">002|col02|福井栄一の上方志向</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 17:53:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>昨今の料理教室事情</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>程　一彦の一日薬膳 <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col03_011_01.gif" alt="昨今の料理教室事情"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col03.gif" width="155" height="94" alt="程　一彦の一日薬膳"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>健康でいたい！もっと美しくなりたい！スマートになりたい！などと誰もが望みます。新聞や雑誌、テレビ、折込広告などでサプリメント（栄養補助食品）や健康食品、ダイエット食、ドリンク類や各種ビタミン・ミネラルの栄養剤などの広告を見ない日はありません。業界の推定では、サプリメントや健康食品の売上が１９９５年に４００億円、１９９８年は７００億円に拡大し、現在ではビタミン剤やミネラルの市場を超える勢いとか。</p>
<p>これらの効果の真偽は別にして、中国薬膳は『健康は食に在り』と教えています。人間の体は肉魚介類と野菜、果物、穀物を食べるとこれらが持つ『気』を体内に取り入れて元気になれるという理論です。</p>
<p>人間の体で気は作れないとも諭しています。つまり、食事で健康を保ち、食事以外の薬品やサプリメント、栄養剤だけで元気は生まれません。病気の人には、薬品やサプリメント、栄養剤は必要ですが異状がなければ百害あって一利なし！かも知れません。</p>
<p>どんなに優れた薬品でも副作用があります。病気の悪い箇所を治しますが、良い細胞をも傷つけてしまうのが薬の泣きどころです。しかし、自然界の食べ物は違います。上手に食事を続けていると即効性はありませんが、害なく健康で美しく長生きできます。特定の食品に頼るのは危険です。サルの腰かけ、霊芝キノコ、紅茶キノコ、黒酢、ニンニク、牛乳、ドリンク類…の健康法はいつしかピークは過ぎました。</p>
<p>私は、これらすべてのものを単独でなく、食事と一緒に利用するのが賢明だと思います。例えば、ビタミン剤やミネラル剤をジュースに混ぜる。サプリメントはスープや味噌汁、ドレッシング、カレーなどに加えたり、お好み焼き、ケーキに入れる。要は食事として摂取するのがベストです。健康は日々の食事で決まります。</p>
<p>▽お知らせ<br>
▼４／18（金）13時　公開講座<br>
追手門学院大学茨木校　ＴＥＬ０７２・６４１・７４０９<br>
『食と健康』<br>
▼ ４／21（月）ＮＨＫ「今日の料理」<br>
お父さんの一品名人塾<br>
『ジューシーな程さんの酢豚』</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_38.html">大人組 Kansai 2008年4月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup08.jpg" alt="程　一彦さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[料理研究家]</span> 程　一彦さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">1937年大阪生まれ。灘高校・関西学院大学卒。<br>
新台湾料理龍譚（リュータン）2代目オーナーシェフ、マスコミや講演などで幅広く活躍。和・洋・中にわたって食と健康の関わりを追究し、“料理のことならテイさん”といわれるくらい定評がある。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col03/col03_011.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col03/col03_011.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">003|col03|程　一彦の一日薬膳</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 17:46:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>どうしてくれる!?</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>佐藤弘樹の英語回帰 <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col04_011_01.gif" alt="どうしてくれる!?"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col04.gif" width="155" height="94" alt="佐藤弘樹の英語回帰"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>愁いを帯びた流し目で「どうしてくれる」と妙齢の女性に言われればその内容を問わず男性はドギマギするものだが、とんでもないことが起こる昨今、声を大にして「一体どうしてくれるんだ」と言わなければいけない事例が多いのもまた事実。しかしその一方で実に些細なことで「どうしてくれる」と言いたがる人も増えているような気がする。例えば、</p>
<p>『タバコを売ったあなたのせいで肺ガンになった、どうしてくれる』。</p>
<p>『ファーストフードを作ったあなたのせいで肥満になった、どうしてくれる』。</p>
<p>『女性誌の見出し通りに生きてきたらこうなった、どうしてくれる』。</p>
<p><img src="../images/col04_011_01.jpg" align="right">先日、知人の大学教員が学生から抗議を受けたという。ある資格試験の勉強方法を聞かれいくつかアドバイスしたところ、後日その学生から「先生の言う通り勉強したが不合格だった、どうしてくれる」と言う内容。かわいそうだがお気の毒だったねとしか言いようがない。「怖くてアドバイスもできないなぁ」というのはその同僚の嘆き。</p>
<p>１９６１年の大統領就任式でＪ・Ｆケネディはこんな演説をした。</p>
<p>My fellow Americans: ask not what your country can do for you…ask what you can do for your country. My fellow citizens of the world: ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man.</p>
<p>（訳）わが同胞のアメリカ人よ、あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。</p>
<p>ケネディ大統領がマリリン・モンローに「ジョン、どうしてくれるの？」と言われたかどうかは定かではないが、今から50年近く前に「近頃、『どうしてくれるっ！』と言う人が増えた」と大統領が言ったかも知れない風潮が、時差を持って現代日本を覆い始めているのだろうか。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_38.html">大人組 Kansai 2008年4月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col04/col04_011.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col04/col04_011.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">004|col04|佐藤弘樹の英語回帰</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 17:18:20 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>デンマーク家具と私</title>
         <description><![CDATA[<!-- ↓ベース部分ここから -->
<div class="col_entry_base">
<div class="col_entry_base_txt">
<h3>[賢人の雑学]</h3>
<h2>中村義明の一棟梁談 <span class="col_entry_date">(2008.03.29)</span></h2>
<div class="col_entry_base_txt_img"><img src="../images/col07_011_01.gif" alt="デンマーク家具と私"></div>
</div>

<div class="col_entry_base_img"><img src="../images/col07.gif" width="155" height="94" alt="中村義明の一棟梁談"></div>

</div>

<div class="clear01">&nbsp;</div>
<!-- ↑ベース部分ここまで -->

<!-- ↓本文ここから -->
<div class="col_entry_body">
<p>27歳の時、ニューヨーク郊外のタリータウンにあるロックフェラー邸新築工事の現場責任者に就いた。この建物はロックフェラー邸敷地に建てられ、設計は吉村順三先生である。同じ吉村先生の代表作の一つ、延べ４００坪の中庭を中心にデザインされた東京の新宮殿に類似していることから「ジャパニーズハウス」と呼ばれたが、畳一つない椅子生活の空間である。しかし、２階メインフロアは真壁構造の木造で柱と障子があり、床は練付であるが日本の赤松で仕上げられ、シオジ、栗材まで使われている。また、浴室は高野槙で施工された住宅である。その建築空間に置かれた家具は、ジョージ中島作のテーブルや椅子、照明器具であった。私は仕上がっていく建築空間の中で、日本人もこれからこのような洋風使いの空間に住むようになるのではないかという思いを抱いた。</p>
<p>帰国後、日本の家屋を設計、施工するにあたり、家具の重要性を感じ、世界の家具の勉強を始めた。数年後、偶然の大きな縁でデンマーク人の若い家具職人が我々の店に入店し、デンマーク家具を知った。彼、ソーレン・マッツはデンマークの家具の歴史や現在の家具デザイナー・職人を紹介してくれた。</p>
<p>１９８０年前後のデンマーク家具はイタリア家具に追い越され、イタリアデザインの模倣のように思われた。デンマーク家具の黄金時代は１９３５年頃から１９６０年頃で、ほとんどの欧州の家具職人が二度の大戦で家具作りが出来ない中、私の一番好きなフィン・ユール、ポール・ケーホルム、ウェグナー等多くのデザイナーは、デンマークには戦争などがなかったこともあり活躍した。デンマークは山がなく、家具の材料となる木材もない所で、世界中から材料となるローズウッドや南洋材を集め、少ない材料を使って家具を製作した。フィン･ユールは日本の茶室、数寄屋造の素材の細かさに大いに影響された。デンマーク家具の特徴は、機能を重視し、出来る限り材料を無駄なく使うなど、私の本業の数寄屋造りの精神と同一である。</p>
<p>今日、世界は情報の発達により、良いものは各国で瞬時に取り入れられる。今後の日本人は日本人として、伝統からの意匠や技術とともに、世界からの家具等を取り入れて住環境は生まれ変わっていくに違いない。</p>

<ul>
<li><a href="../../magazine/mag01/mag01_38.html">大人組 Kansai 2008年4月号</a></li>
</ul>

</div>
<!-- ↑本文ここまで -->

<!-- ↓プロフィールここから -->
<div class="col_entry_profile">

<h4>筆者プロフィール</h4>
<div class="col_entry_profile_img"><img src="../../supporter/images/sup09.jpg" alt="中村義明さん" width="143" height="173"></div>

<div class="col_entry_profile_txt">
<h2><span class="col_entry_profile_subname">[中村外二工務店代表]</span> 中村義明さん</h2>
<div class="col_entry_profile_body">1946年、京都生まれ。<br>
数奇屋建築の名匠、故中村外二の次男。菊乃井本店、俵屋、MIHO美術館造園など、全国の伝統建築・改修工事に多数従事。</div>
</div>
<br class="clear">
</div>

<!-- ↑プロフィールここまで -->
]]></description>
         <link>http://www.otonagumi.com/column/col07/col07_011.html</link>
         <guid>http://www.otonagumi.com/column/col07/col07_011.html</guid>
                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">007|col07|中村義明の一棟梁談</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 29 Mar 2008 17:11:33 +0900</pubDate>
      </item>
      
   </channel>
</rss>
